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二階堂酒造 麦焼酎 吉四六 瓶 720ml [焼酎地酒 大分県]

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昔寛文の頃(1670年頃)日出町の古刹康徳山、
松屋寺の小僧某が豫てより寺に造ってあった
甘酒を飲みたく思っていた処、

適々和尚の外出せしを好機と、
多量盗み出し十分飲み、
尚後日のためにと、

之を壺に入れ附近の麻畑に埋めて置いた、
ところが味が全く一変して清酒となり、

しかも一種の風味があり、
美酒となっていた、

此の事を知った嶺外宗松大和尚は時の日出藩で
名君と云われた木下右衛門大夫俊長公に此の美酒を奉った、

そこで俊長公は此の美酒の製法をとどめ、
麻地酒と名づけ、藩の手で醸造に着手、

以来明治まで藩の将軍献上品として、
その名が高い銘酒であり、

文人墨客の詩歌にも盛んによまれ、
また左党の通人の垂涎おくあたわざるもので
あった逸品でした。

此れを現在に受け継いでいるのが
「大分むぎ焼酎二階堂」なのです。














「吉四六さん」と云えば大分の人なら
ユーモアと奇行を持って知られた、
あの奇人と誰でも知っている。
幼かった頃、お爺さん、お婆さんから
聞かされる話と云えば必ずこの吉四六さんでした。

正しくは広田吉右衛門であるがこれが訛って
「きっちょむ」となり、
さらに「吉四六」と当て字の
愛称で呼ばれる様になった。

寛永十五年に大分県野津町に生まれ、
奇言、奇行一生を送り八十八歳の天寿を全うして
正徳五年十二月二十七日逝ったが、

その間に残された機知、
頓才の小話が大分県人の心に今なお
郷愁にも似たものをあたえている、

それが県民オペラ「吉四六昇天」となり
映画にもなっている、
その代表的民話の主人公の名前を
「大分むぎ焼酎二階堂吉四六」に冠したのです。













あのあんたなー、今言う通り昔しや、八ツん時い、
買いい行きおったんじ「やつがい」ち、云いおったんぢゃあー、
そいが日に三べん、めしい喰うごちなっちけん、
家じ晩めしん時い飲むあかを、子が徳利い持っち、
おごめん「やつがい」を二合がんおくれ、

三合がんおくれ、みながんおくれち、云うち、
買いい行きおったもんぢゃあーから、
晩めしん時い飲むあかを「やつがい」ち、
云ふごちなっち、しもたんじゃあー。

じゃあー、じゃあー。 あの貴方様今から申し上げる通り、
昔しは八ツの刻に買いに行っていたので
「八ツ買い」と言う様になったのです。

それが一日に三度食事をする様になってから、
晩酌用の酒を子供が徳利を持って御面下さい、
「やつがい」を二合だけ下さい、三合だけ下さい、
お金の全部だけ下さい、

と云って買いに行っていたものですから、
晩酌に飲む酒を「やつがい」と云う様になって、
しまったのです、そうです、そうです










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